2019年6月15日土曜日

死と尊厳 - Death and dignity.

今日の東京はあいにくの雨。
梅雨入りしたので当然ですが、特に出かける予定もないので家庭内作業をしています。

午前中は撮り溜めたビデオを見ながら、このBlogのコンテンツの一つ、SAKE Listを更新してました。
登録銘柄数もあと一歩で700本というところまで来ました。
最近、登録ペースが少し落ちていましたが、またペースを上げようと思っています。

生き方を考える時代から死に方を考える時代へ

午前中は録画していた「ザ・ノンフィクション それでも私は生きてゆく」を観ました。

今回は先日NHKで放送された「NHKスペシャル 彼女は安楽死を選んだ」に近いテーマ。

この二番組はどちらも難病に侵されて徐々に進行する方が主人公。
NHKスペシャルは尊厳死(安楽死って言い方が嫌なんですよね)を選んだ方、ザ・ノンフィクションは頑張って生きようとする方。
人それぞれの死生観・倫理観があるのでどちらが良いとか悪いとかは言えませんが、この二番組を観て色々と考えさせられました。

ここから書くことは私の個人的な意見・思いです。
誰かを傷つけようとか、批判するとかの意思は全くありませんのでご理解ください。

ザ・ノンフィクションを観て重いと思ったのは、病状が進行するにつれて意思疎通が出来なくなること。
痛いところがあっても、痒いところがあっても周りに伝えられない。
脳は動き、耳は聞こえ、目は見えているのに。
もし仮に何年後かに日本で尊厳死が認められたとしても、意思疎通が出来なければ本人の意思確認は出来ない。

これはすごく重要なことだと思います。

身体のあらゆるところが動かず意思表示が出来なくなり、周りとコミュニケーションが取れない。
それは「生きている」のか「生かされている」のか。
またこれは難病に限らず、年老いていく我々にも共通すること。
老衰により寝たきりになり、意思疎通が出来なくなる。
やはりそれは「生きている」のか「生かされている」のか。

そして人間としての尊厳はそこにあるのか・・・。

すごく奥が深く、だけど誰にとっても身近なことだと思います。

今までは健康面や金銭面などを含めて「年老いたらどう生きるか」を考えていましたが、

これからは「どう死んでいくか」を考える時代

なのかも知れません。

あと、そろそろ日本も「尊厳死」について真剣に議論をすべき時期ではないかと。
患者本人の尊厳はもちろんですが、介護する周り(特に年老いていく両親やパートナー)の負担のこともありますし。

この二番組を観て、そんなことを考えさせられました。

それぞれの番組を制作して放送した関係者の皆様、そして取材されることを承諾された主人公のお二方には本当に感謝します。
これらの番組を観なければ、「死に方」「生き方」について考える機会は無かった気がします。

死ぬまでの生き方

それにしてもこの二番組を観て改めて「自分の生き方は正しかったのか」と考えさせられました。
もう少しシンプルに、そして人のために生きるという生き方もあったのかなと。

さて「死ぬまでの生き方」、要するにこれからのことについては次回詳しく書きます。
終の棲み処についてとか。
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